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HAZUI 改
気づけば、というか気づきたくないけどもう12月で、
って言うとだいたい条件反射みたいに今年一年を振り返ったりするけど、
記憶が記憶を呼んで別にどーでも良いようなこと思い出して、
どーでも良いくせに結構恥ずかしいこといっぱいあって、
無性にむやみに唐突に急激に劇的に自分をおそう羞恥心に苦しんでいます。

あの時の自分のアホなテンションは何だ、とか
この時の意味不明なギャグは果たして必要だったのか、とか
その時の発言は絶対に周りから痛い奴と思われてたはずだ、とか。
もうほんとに誰彼かまわずあやまりたい。
あやまるから忘れてって言いたい・・・

けど本当は思い出さないでほしいから掘り返せない。
いつ思い出されるかと思うと気が気じゃない。
割とずーっと長い間気が気じゃない。

忘年会とか同窓会とかそういうのが苦手なのも、
「そういえばこんなことあったよね」「あったね!」ていう流れになるのがいやだから。
まだ乗り越えてないこといっぱいだから怖ろしい。
かと言って、
自分の脳内では大事件なことが
客観的になれば割りと大したことなかったりもする。
それはそれで寂しいけど、
一番こわいのは、
自分しか記憶してないようなことを他にも覚えてる人がいた場合だと思う。
その場合、自分の視点でしか味わってなかったイタさや恥ずかしさに
他人の視点から観察された情報が追加されるから、ほんとに一番最悪だ。

もういやだ。
一生懸命にアホなのが一番いやだ。
ボケ側の恥ずかしさもツッコミ側の恥ずかしさもいやだ。
どっちかと言うとツッコミ側の方がいやだ。
思い上がってたりなりきってたりする自分がいやだ。
多分来年もおなじようなこと積み重ねちゃう自分がいやだ。
こういうのってどうやって乗り越えればいいんだ。
思い返すと恥ずかしさでのたうち回ったり
頭を壁にぶつけたりしそうになるけど
それは後々の赤っ恥になるのではないか。
でもこうして文章にするってことも同じような気もする・・・
わーーーーーーー
過去を振り返るのはなんでこんなに痛いの。
痛くてそして恥ずかしい。

どうでも良いけどハズイってもう死語だよね?ゆっちゃうけど。
| キョウノサクマ | 02:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
豆電球は甘き香り
光が好きすぎる。

自動車のヘッドライトがまぶしくて好き、
ぽちんとした街灯は静かで好き、
信号は小さな色粒が丸く並んでいてかわいくて大好き。
マンションやビルの窓なんかの照明は最高域で、
黄みがかった白色やオレンジ色や
毒々しいほど青白い灯りが一列に並んでいるのを見ると圧巻させられる。
建物の方がおまけのように思えて、灯りの方が主人。
しかも一棟ではなくて何棟も隣接してあるので、
夜、何も見ずに宙を見ると、
ビルは光の粒の列を孕んだ黒い塊でしかなく、
空に向かって粒は伸びていくので宇宙へ交信しているようだ。

光が好きすぎる。

いつからの事なのか、目に映る景色は全て膨張した光に包まれている。
朝よりも昼よりも、夜は世界が美しい。
明けない夜はないのがうらめしい。
私は夜の申し子なのかもしれない。

そんなことを言うと、あのひとは真面目くさって答えた。 
「光が膨張して見えるのは、コンタクトレンズをしてるせいだよ」
「嘘」
「ほんとう」

誰にも言えないけれどあのひとは甘い匂いがする。
それが性フェロモンという物なのかも知れないけれど、
そんな解釈は全然色気がないと思う。
あのひとは存在が甘き香り。

明けない夜はないのがうらめしい。
一つは光が綺麗に見えるから。
もう一つの理由は、肩ごしに見上げたオレンジの豆電球が、
いつまでも熱を持って輝いてほしいから。
| ss | 00:34 | comments(2) | trackbacks(0) |
睡魔くんと絶望ちゃん
霜月という言葉を睡魔くんは気に入っていました。
弥生も文月も長月も嫌いでした。
肌を刺すような冷たさ、その容赦のなさが睡魔くんは好きでした。
ひやりとした痛みだけが彼に覚醒を与えてくれました。

緑色の月に誘われて睡魔くんは街へ出ます。

複雑に騒音と色と光とが絡まりあうゲームセンターのなかを、
絶望ちゃんは遊ぶ人々の顔を眺めながら歩いていました。
クレーンゲームから流れ出る音楽を聴いていると、
絶望ちゃんは果てしなく遠い旅に出ることを妄想してしまいます。
私もいつか誰かにつまみ上げてもらえるのだろうか。
その人は娯楽に酔わされて私を笑ってくれるだろうか。

跳ねたコインの音が耳に響きます。

二人は運命なんか信じていませんでした。
でもずっと誰かを待っていました。
待ちながら逃げ続けている妙な迷子たちなのでした。
おしまい。
| ss | 00:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
うちゅうびと
ますます夜の空が宇宙っぽい。
ちょっと視線を町より上にしただけで宇宙。
どかんって効果音まで聞こえるぐらい宇宙。

そして神妙な気持ち。

星空みると大切な人の顔が浮かぶなんていう人もいるけど、
ぼわぼわした底なしなのに表面しか見えない宇宙見ると
何故だか小説家にこっちを見られている気持ちになる。
想像の及ばないほどの過去の時間を考えたりもする。

同じ所にいくには・・・・


宇宙人になるしかないなあ。


そもそも宇宙人だけど。
じゃ大丈夫か。
| - | 04:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
米つきバッタと蛇
て、なんかいつも大そうな題名つけちゃうけど
ただちょっと一言叫びたいて時にはちょっとそぐわない。
分かってるけど題名つけるの楽しい。
この前ティアに来てくれたSさんて方のミクシイにコメントしたら
返事の中で普通に「叙情的夏休みを〜」て書いてくれていて、
びっくりした。
題名ってすごいな。顔だもんね。
例えばある人についてよく知ってる人も知らない人も、
「そのひとの顔はこんなの」っていう情報は共有してるという不思議。
でも顔について言えば表情という変化がちゃんと現れるから違うか。
言葉の「ぜったい変わらないにじまない動かない」っていう
無機質な性格が好きだ。


唐突に、感謝の気持ちは忘れたくないな
と、思いました。
だけど感謝しすぎも考え物だなとも思いました。
堂々とした度胸も欲しい。バランスが大事と思いました。

感謝しすぎも考え物っていうのは、
本当は出来るだけ借りを作らないように生きていこうとする姿勢が良いなって思うから。
無理とは分かってるけど誰かの負担にはなりたくない。
それでそのうえで、どうしても困ったって時に助けてもらったら、
ありがとうって気持ちが自然と出てくるんだと思う。

昨日教育白書見てても思ったけど、
なんか自然発生ってものが軽くみられるのはいやだな。
「〜〜したからxxxになる」とかそういうの、疑わなきゃだめだ。

トロッコ問題ていうのが出てたけど、
あれを考えることが「考える」ってことではないと思う。
思考停止になる。

考えても考えても解決策なんか見つからないことのほうが多い。
そんなのばっかりで、
だから自分の主張を声高に言うのは痛い。
痛みは絶対に知る必要があると思うけど、
この場合の痛さはいやな痛さ、いらない痛さ。


だから、レバーを引くのか引かないのかについて一切触れたくないのは私のあいまい好きな性格だけど、
もし本気で聞かれたら、
私は「レバーは引きません」って答えます。
レバーを引いたら作為になるから。
関わらない。
で、もし「なんて冷酷な奴だ」って言われたら「はい」って受け入れて生きていくしかない。
私には自分から誰かの方に暴走トロッコを向けさせるなんて出来ない。
綺麗ばっかりでなんて生きていけない。


映画「パラノイドパーク」をみた。DVDで。
綺麗ごとばっかりで生きていけない。
自分の頭のなかでは深刻さが3割増すし、妄想は4割現実をわからなくさせてしまってる。
だけど目で見ているものはただ、本当に綺麗に見える。
雨の街も、スケートボードも、街灯も、女の子も。
そして、自分の頭のなかではどうしようもなくなってる現状で、
ふとした所にみえる綺麗に出逢って救われたりする。
この映画のなかでは沢山「悩み」が登場するけど、
一番けなげで美しい悩みは主人公の小さな弟が、
母親と父親の関係のことで気を病んで口に含んだ料理をティッシュにぺって戻してしまうことだと思った。
その小さな弟のする脈絡のないへんてこな話も救いだった。
殺人が絡むのに、全体を通してものすごく美しい映像が痛い。
これはほんとの痛さ。

監督はガス・ヴァン・サント。
paranoidの意味、「病的なほど疑りぶかい」。
| - | 12:54 | comments(0) | trackbacks(0) |